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和佐隆弘の論文など - Opinions of Takahiro WASA -


by wasatakahiro

文明史からみた”経済国家の破産”④ ”一身独立”の福沢諭吉と,”地位の平等”のトクヴィル

 市場経済は分業と交換を車の両輪としている。そのエンジンは利潤動機であり、ガソリンは資本だが、その潤滑油は信用である。利潤や信用を代表し、測定するのが貨幣で、その最高額紙幣の一万円札の肖像は福沢諭吉である。昔は聖徳太子だった。
 
 この一万円札のデザインの変更は、実に象徴的である。聖徳太子といえば、「和を以って貴しと為す」である。これにたいして、福沢諭吉は「学問のすすめ』の第三編で「一身独立して一国独立の事」と題して、文明開化を説いている。その第一条は「独立の気力なきものは、国を思うことを深切ならず」とし、第三条では「独立の気力なきものは、他人に依頼して悪事をなすことあり」とまで言い切っている。
 
 福沢より三、四十年ほど前にアメリカ社会をみたフランスの思想家で、後に外務大臣までつとめたトクヴィルは、福沢の独立精神と文明社会のかかわりを「地位の平等」という観点から総括してみせた。それが人権を法との関係でとらえ、社会の統治科学としての政治学に大きく貢献した『アメリカの民主政治』である。
 その序論はこう述べている。「地位の平等は、公共的精神にある一定の方向を、法律にある一定の表現様式を、治者に新方針を、被治者に特殊な慣習を、与えている」と。

 さらに「この地位の平等という事実が政治的慣習と法律を超えて、その影響力を拡大している」どし、「特殊な事実を生みだすかのように見える母体的事実」を発見したという歓びでつづられている。
 
 企業はもとより、家計の稼ぎ手である労働者や投資家といった経済主体の独立性=地位の平等こそが、資源最適配分に向けて市場経済が機能するための必須の条件である。そういう独立した経済主体の形成過程に理論的基礎を与えたのがアダム・スミスの『国富論』だった。その出版がアメリカの独立宣言と同じ一七七六年だったと
いうことは、なんとも象徴的である。

(⑤以降につづく)

1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)
by wasatakahiro | 2009-03-04 22:34 | 既発表のもの