和佐隆弘 公式ページ / Takahiro WASA official site
2009-11-09T11:15:50+09:00
wasatakahiro
和佐隆弘の論文など - Opinions of Takahiro WASA -
Excite Blog
文明史からみた”経済国家の破産”⑨”見えざる神の手”に不可欠な会計の発達
http://takahirow.exblog.jp/11540729/
2009-11-08T22:29:00+09:00
2009-11-08T22:35:43+09:00
2009-11-08T22:29:44+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号) それは、企業会計にはっきり示されている。株式はリスクキャピタルとされ、もっともリスクが大きいが、そのリスクの大ききが株主権の大きさとバランスしている。会計制度、監査制度、それを実行する公認会計士制度の強化、発展をもたらしている市場経済の合目的性は、市場の資源配分機能の有効性とその優劣にかかっているといっても過言でない。利潤追求を目的とする企業の経営成績は、その利益の大きさと、その成長トレンドなどから評価される。それが株価に反映され、株価が上がればそれだけ資金調達や企業買収が有利になる。競争原理が働く中で、財務戦略は経営戦略を大きく左右する。
経営成績を判断するために絶対不可欠な情報が財務デ-タである。その財務諸表を作成する会計基準に欠点があったり、運用に誤りがあったりしては、株主の権利は損われる。それではアメリカ建国の”自明の理”に反する。そんな政府は、次の大統領選挙で政権を追われる仕組みになっているから、人知の及ぶかぎりは、先見性の強いマーケットの警告に国家としては従わざるをえない。
会計制度は、もともとは株主や債権者の権利や義務を確定し、経済行為の合理性や秩序維持を目的としたものである。しかし、すでにみたように、株式が広く市場に公開され、そこで形成された株価が経営戦略としての意味を持ち、さらにそれを意識して高株価戦略が経営戦略となってもると、設備投資から人員採用まで含めた計画に大きな影響を与える。資源配分を左右するのである。
市場経済の”憲法”のようなものが会計にほかならない。その原則や基準に問題があったり、運営で”憲法の精神”に反することがあっては、それに期待される資源の最適配分は裏切られざるをえない。それど乙ろか、最悪配分になると覚悟すべきである。それがテコの原理で増幅・加速されるから、その先見性を無視したり見誤ったりすると、市場のエネルギーは爆発し、暴走する。政治権力による制御を超えることすらある。それがパフルであり、その処理を誤ると恐慌につながることは、歴史が示す通りである。
(⑩以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)]]>
文明史からみた”経済国家の破産⑧ 市場経済の鏡・アメリカの独立宣言
http://takahirow.exblog.jp/10905344/
2009-08-19T20:21:00+09:00
2009-11-08T22:37:20+09:00
2009-08-19T20:21:23+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
年)から百二十五年後のことだった。
現代の日本を文明史の視座から検討するうえで、アメリカは少なくとも三重の意味で重要である。一つはいうまでもなく冷戦に勝利した西側世界の主役だからである。社会主義計画経済に勝利した民主主義市場経済の体制が世界システムと
して支配的になっている以上、経済のグローバル化の前提といってもいい。
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号) もう一つは、戦後の日本再建がアメリカの占領政策の下に進められたという歴史的な事実による。
この事実は改めて指摘するまでもないが、その事実が持つ意味は米ソ対立という状況が変わって十年近くになろうとしている今こそ、総点検が必要なのではなかろうか。本稿のテーマである経済問題が、金融システムという市場システムの心臓部に迫ってきただけに、いささかの見落としも許されないからである。
三つ目は、日米の国柄に対照的な要素が強いだけに、二十一世紀に向けての日本の国‘つくりに大きなヒントが得られるのではないかということである。特に、アメリカは建国から二百二十年余しか経っておらず、それも本国のイギリスと戦争することによって勝ち取った、いわば”人工国家”の要素が強い。ホップス流のリヴァイアサンという近代国家のモデルともいえる。歴史と伝統を誇る日本の、近代国家としての姿を映す鏡として、大いに参考になるはずである。
『独立宣言』を読み直してみなければならない。まず、人はすべて平等だ、という。そして生命、自由、及び幸福追求の権利を与えられている。それは何人も譲り渡すことのできない権利である。こうした権利を守り、強化するために政府がある。もし、政府
がこの義務を怠ったら、国民はそれを廃止することができる―といったところである。これらをひっくるめて、”自明の理”だという。
(⑨以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)]]>
ワールド・ブロガー協会設立記念講演会・第一回取材会で取材いただきました
http://takahirow.exblog.jp/10144862/
2009-04-29T21:17:00+09:00
2009-11-08T22:37:56+09:00
2009-04-29T21:19:05+09:00
wasatakahiro
日本経済新聞
資料(ワールド・ブロガー協会HP)
動画1(YOUTUBE)
動画2(YOUTUBE)]]>
文明史からみた”経済国家の破産⑦ 近代国家の誕生とホップスの『リヴァイアサン』
http://takahirow.exblog.jp/9993894/
2009-04-06T20:13:00+09:00
2009-11-08T22:39:15+09:00
2009-04-06T20:15:16+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
のホップスが読みとれる。すなわち「自然(神がそれによってこの世界をつくったし、それによってこの世界を統括している、その技術)は、・・・」と。神と世界と世界秩序とをひっくるめた自然観である。科学の対象となりうる政治体としての近代国家像を提示した。彼はそれを四つに分けて考察する。
「第一に、それの素材と製作者、それらはともに人間である」
「第二に、どのようにして、どういう諸信約によって、それはつくられるか、主権者の諸権利および正当な権力あるいは権威とは 何か、そして、何がそれを維持し、解体するか」
「第三に、キリスト教的コモンウェルスとは何か」
「さいごに、暗黒の王国とは何か」
こうしてホッブスは、国家を人間によって人間のために創造されたものと確認したうえで、それをリヴァイアサン、つまり人工的人間と規定する。そして、この人工的人間がなぜ権力を持たねばならぬか、その正当性なり必要性の証明を国家の責任に帰した。つまり、社会科学における「挙証責任の転換」という学問方法論の確立に決定的な役割を果たしたのである。
⑧以下に続く
pp.87-97, 日本及日本人(平成9年陽春号), 1997年4月]]>
文明史からみた”経済国家の破産⑥ パラダイムの転換とコペルニクス革命
http://takahirow.exblog.jp/9856716/
2009-03-17T21:42:00+09:00
2009-11-08T22:40:57+09:00
2009-03-17T21:44:15+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
の中の地球」としての世界認識体系の転換は、トーマス・クーンによって”パラダイムの転換”として提起され、学問方法論に革命的衝撃を与えた。
クーンは「科学と思想史との結合は”コペルニクス革命”の多様な構造へ接近するための必須の要件である」とし、まず、惑星の天文学の道具であったデータおよび概念をしっかり把握していなければならない、という。そのうえで「科学的概念というのは観念であり、その意味でそれらは思想史の主題である」と重要な指摘を行っ
ている。
「技術的な科学上の資料は本質的だが、それらが機能しはじめるのは、歴史的あるいは哲学的枠組における位置が決まってからである。ひとたび位置が決まると、その原資料は科学の発展の様相、科学上の権威の性格、および科学が人間生活に影響を与えるそのやり方を示す」というのである。
これが一九四九年以来、ハーバード大学の科学の『総合教育』コースのひとつとして行われた一連の講義から生まれた結論だという。ときに一九五七年、今から四十年も前のことである。クーンは「彼(コペルニクス)の『回転について』はおもに数式、表および図からなっているが、それを理解できたのは、新しい物理学、新しい空間概念および人間と神との関係について新しい考えを生み出すことのできる人だけだった」と。科学的概念さえもがこのように”観念”だとすれば、政治や経済を対象とする社会科学的概念は、もっともっと”観念”の要素が支配しているはずである。ケインズの
『一般理論」が”ケインズ革命”と呼ばれたのも、この意味にほかならない。
⑦以下に続く
pp.87-97, 日本及日本人(平成9年陽春号), 1997年4月]]>
文明史からみた”経済国家の破産⑤ 日本版ビッグパンの条件『方法序説』
http://takahirow.exblog.jp/9781789/
2009-03-07T21:02:00+09:00
2009-11-08T22:43:15+09:00
2009-03-07T21:03:32+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
今、何故、こんな文明社会の常識が叫ばれなければならないのかということである。そこでの問題は次の三点に分けて考えなければならない。
まずもっとも基本的な認識として、日本社会の現実が近代文明社会とは異質だという事実の確認である。それは、具体的に何がどの同ように異質なのか、いつから続いているのか、その影響はどの程度なのか、などという問いを含めてである。
次に、その原因である。明治開国から百三十年にもなろうとしている今日、文明開化の意に反して作用したものは何なのか。習慣や伝統といった歴史や風土のせいなのか、それとも、単なるタテマエにすぎず、ホンネは別のところにあったからなのか。あるいは、文明を妨げる特別な要因でもあったのだろうか。
そして、もっとも重要なのは将来展望である。それは未来史をぜう読むかということだが、そこに近代文明社会における日本民族の意思としてどういう国家像を想定するかが説明できなければならない。当然、価値判断を含むものだから、その客観性が要求される。
歴史から学ぶこと、そして古典を読むことが不可欠の条件である。近代と前近代を分かつものとして、われわれはデカルト哲学を知っている。一般には、世界観の転換をもたらしたとされるが、それはあくまでも結果であって、デカルトの価値は世界認識の方法の確立だった。それが彼の『哲学原理』であり、「理性を正しく導き、諸々の科学における真理を探求するための」と規定じた『方法序説』にほかならない。
われわれは人生において自らの誤りを何回となく体験する。誤った認識が大きな不幸につながった場合、その原因に関心を強める。不幸を避けたいからである。アメリカの独立宣言にあるように、「造物主によって幸福追求の権利を与えられている」のである。この幸福追求に不可欠な要素が理性である。デカルトは、この理性ほど人間に公平に与えられているものはないだろう、と挑発する。『方法序説』を手にとったものに、これを否定することを拒否することから、哲学を始める誤った認識からの解放としての真
の探求には、理性の作用を必要とする。つまり、理性を正しく導くことであり、そのための方法を提示したのである。理性はそれが正しく導かれてこそ理性であり、それは方法と一体である。方法こそ理性の存在証明なのであり、「我思う、故に我あり」となった。
(⑥以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)
]]>
文明史からみた”経済国家の破産”④ ”一身独立”の福沢諭吉と,”地位の平等”のトクヴィル
http://takahirow.exblog.jp/9759861/
2009-03-04T22:34:00+09:00
2009-11-09T11:07:23+09:00
2009-03-04T22:36:10+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
この一万円札のデザインの変更は、実に象徴的である。聖徳太子といえば、「和を以って貴しと為す」である。これにたいして、福沢諭吉は「学問のすすめ』の第三編で「一身独立して一国独立の事」と題して、文明開化を説いている。その第一条は「独立の気力なきものは、国を思うことを深切ならず」とし、第三条では「独立の気力なきものは、他人に依頼して悪事をなすことあり」とまで言い切っている。
福沢より三、四十年ほど前にアメリカ社会をみたフランスの思想家で、後に外務大臣までつとめたトクヴィルは、福沢の独立精神と文明社会のかかわりを「地位の平等」という観点から総括してみせた。それが人権を法との関係でとらえ、社会の統治科学としての政治学に大きく貢献した『アメリカの民主政治』である。
その序論はこう述べている。「地位の平等は、公共的精神にある一定の方向を、法律にある一定の表現様式を、治者に新方針を、被治者に特殊な慣習を、与えている」と。
さらに「この地位の平等という事実が政治的慣習と法律を超えて、その影響力を拡大している」どし、「特殊な事実を生みだすかのように見える母体的事実」を発見したという歓びでつづられている。
企業はもとより、家計の稼ぎ手である労働者や投資家といった経済主体の独立性=地位の平等こそが、資源最適配分に向けて市場経済が機能するための必須の条件である。そういう独立した経済主体の形成過程に理論的基礎を与えたのがアダム・スミスの『国富論』だった。その出版がアメリカの独立宣言と同じ一七七六年だったと
いうことは、なんとも象徴的である。
(⑤以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)
]]>
文明史からみた”経済国家の破産” ③世界最大の債権国が財政難―資源最悪配分
http://takahirow.exblog.jp/9748514/
2009-03-03T15:02:00+09:00
2009-11-09T11:09:06+09:00
2009-03-03T15:03:31+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
この現実は、いったい何を意味しているのだろうか。不健全きわまりない。矛盾だらけである―といっても、説明したことにならない。こんなはずではなかったのではないか。全く人知をもってしては不可抗力な天災だったとでもいうのか。そんなことはありえな
いわけで、われわれ日本民族がつくっている国家の意思による選択の結果以外の何ものでもないのである。
そういう前提に立たなければいけないといいたいのである。そうしないと、解決策を考えることはできないからである。日本という国は、近代国家でなくてもいいなどという人はいないだろう。主権在民の法治国家である。私有財産を憲法によって保障しており、株式会社を中心とする私企業の経営による自由な競争社会ではないのか。そして、その制度や法律を決める国権の最高機関を構成する政治家は、有権者である国民が自由な選挙で選んでいる。国会は多数決という民主政治のルールで運営されているのである。
世界最大の債権国が、国家経営の根幹ともいえる財政で危機に直面している―ということが象徴しているように、市場経済における資源配分に問題があったのである。期待されている最適配分に機能しなかったばかりか、むしろ資源最悪配分になったと断じるほかない。まさに、アダム・スミスの言う正義の法を無視した場合の”見えざる神の手”の仕わざである。
(④以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)
]]>
文明史からみた”経済国家の破産”②世界の正常化への激動と円高、株安
http://takahirow.exblog.jp/9711240/
2009-02-27T01:51:00+09:00
2009-11-09T11:11:27+09:00
2009-02-27T01:51:36+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
90年1月の一般教書で、ブッシュ米大統領は89年を「革命の年」と表現した。ベルリンの壁が崩壊したあと、ルーマニアのチャウセスク体制をはじめ東欧諸国の体制改革が進み、バルト三国のソ連からの独立など、それまでの常識では考えられなかったようなことが続発した。12月には、ゴルバチョフソ連最高会議議長とプッ
シュ大統領とのマルタ会議〈地中海のマルタ島沖)で、冷戦終結宣言
が調印された。
これをきっかけに、『歴史の終り』、『文明の衝突』とか「資本主義対資本主義同「大競争の時代』といった出版物の著書名がキーワードとして流行したことは、周知の通りである。それまでは、イデオロギーの対立から、米ソの両大国が互いに相手を敵とし、総力をあげて優位に立とうとした。ヒト、モノ、カネが戦争という破壊力のために最優先に動員された。「革命の年」はこうした戦争の論理から平和の論理へのパラダイム転換の年でもあった。理性の基準に照らすと、狂気の時代からの"正常化への激動"にほかならない。
ここで是非思い出してもらいたいのは、世界の政治が戦争から平和でつまり経済の論理が復権した八九年を境界にして、日本の株価が急落に転じたことである。これに続いて地価も暴落、つまり、バブル崩壊乏なった。九二年八月の総合経済対策以来、数次にわたり数十兆円もの財政支援策や史上最低金利といった金融政策にもか
かわらず、不良債権のヤマは膨張の一途をたどっている。
悪化をたどっていた国と地方の財政赤字はいよいよ"待ったなし"の状態に追い込まれた。これに加えて、年金や医療など社会保障制度も財源面から破綻を露呈し始めている。
その一方で、国際収支はなお大幅な黒字が続いている。このため、わが国の外国への投融資から日本に対する投融資を差し引いた対外純資産残高は、九五年末で七宅五百億ドル近くに達している。このために、円相場も90年5月には1ドル80円まで円高になった。
85年のプラザ合意のときの240円台から十年で三倍という激しい円高へのプレ方である。
(③以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)
]]>
最高裁判決 2009年2月17日
http://takahirow.exblog.jp/9700637/
2009-02-25T22:10:00+09:00
2009-11-08T22:45:31+09:00
2009-02-25T22:11:21+09:00
wasatakahiro
日刊新聞法
裁判長裁判官 堀籠幸男
裁判官 藤田宙靖
裁判官 那須弘平
裁判官 田原睦夫
裁判官 近藤崇晴
事件番号 平成20(受)1207
事件名 株主権確認等,株主名簿名義書換等,株式保有確認等請求事件
裁判年月日 平成21年02月17日
法廷名 最高裁判所第三小法廷
裁判種別 判決
結果 棄却
原審裁判所名 東京高等裁判所
原審事件番号 平成19(ネ)5764
原審裁判年月日 平成20年04月24日
判示事項
裁判要旨 株式会社の従業員といわゆる持株会との間における,当該従業員が持株会から譲り受けた株式を個人的理由により売却する必要が生じたときは持株会が額面額でこれを買い戻す旨の合意が有効とされた事例
裁判所HP
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=37305&hanreiKbn=01
判例全文PDF(裁判所HP)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090217152641.pdf
]]>
文明史からみた”経済国家の破産” ①日本の経済発展の”神風”・冷戦体制
http://takahirow.exblog.jp/9700394/
2009-02-25T21:45:00+09:00
2009-11-09T11:13:03+09:00
2009-02-25T21:46:38+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
ベルリンの壁が崩壊してもうすぐ十年になろうとしている。四十年にも及ぶイデオロギーの対立による地球人類社会を二分した冷戦は西側の勝利に終わった。政治における議会制民主主義と経済における市場経済体制が歴史の審判に勝ち残ったのである。戦後半世紀の歴史を振り返ったとき、日本がこの勝利した体制の側にあったこ
との幸運をいくら強調してもしすぎることはない。
戦後の経済復興の優等生といえば、旧西ドイツと日本である。経済の奇跡とさえ称された。その一方の西ドイツは、旧東ドイツの経済的統合のために四十年に及ぶ蓄積の相当部分を消耗してしまった。一九九O年三月にボン政府の招待で旧東ドイツ初の総選挙を取材する機会があった。コール首相は一対一の通貨統合を呼びかけていたが、その時にかい間みた旧東ドイツの経済実態は一対四とも一対八ともいわれていた。
その時、ボン政府の一人から聞いた次のことばを忘れることができない。「われわれは共産主義計画経済という不幸な体制下にある東ドイツを助けなければならないと考えできた。その時にそなえで経済力を強化し、外貨準備をたくわえてきた。近代国家としての憲法をわざわざ『基本法』と名づけているのも民族統合を達成したあ
かつきに憲法をつくるためだ」と。東側の経済の優等生といわれた旧東ドイツの経済でさえ、統合段階では巨大な”お荷物”になっていたのである。
それに比べてみて、戦後の日本の世界史における経済環境の何と恵まれていたことか。米ソの軍拡競争下にあっては、戦争放棄をうたった九条をもっ平和憲法は、資本蓄積に大きく貢献した。そのうえ、朝鮮戦争やヴェトナム戦争といったアジアでの不幸な出来事でさえ、それらが特需景気をもたらした。まさに経済国家日本の”経営”において”神風”が吹いていたのである。
勤勉で質の高い労働力と優秀な官僚が戦後の経済の奇跡にあずかつて力があったことは事実である。終身雇用、年功序列賃金、企業内組合といった日本的経営の果たした役割も大きいだろう。だが、冷戦構造という神風的な世界状勢がその背景にあったことを忘れては、その評価を誤ることになる。
いや、ペブル崩壊後の景気対策がその所期目標を達成できず、対症療法から脱せられないのは、この”神風”が今や”逆風”に変わったという認識を欠いていることが深く関係している。二十一世紀を展望するうえで、現状打開策を検討するための前提として、議論のテーブルに上げておかなければならない。
(②以降につづく)
1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)]]>
文明史からみた”経済国家の破産”,1997年4月,日本及日本人(平成9年陽春号)
http://takahirow.exblog.jp/9692974/
2009-02-24T22:57:00+09:00
2009-11-09T11:15:50+09:00
2009-02-24T22:58:40+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
① 日本の経済発展の“神風”・冷戦体制
② 世界の正常化への激動と円高株安
③ 世界最大の債権国が財政難―資源最悪配分
④”一身独立”の福沢諭吉と”地位の平等”のトクビル
⑤ 日本版ビッグバンの条件―『方法序説』
⑥ パラダイムの転換とコペルニクス革命
⑦ 近代国家の誕生とホッブスの『リヴァイアサン』
⑧ 市場経済の鏡・アメリカの独立宣言
⑨ ”見えざる神の手”に不可欠な会計の発達
〇 「真実性の原則」の違反だったバブル経済
〇 ゲーテ=文明人の資格と複式簿記
〇 公共の不幸と政府の腐敗―人権の不知
〇 ”前近代”の超克としての『法の精神』
〇 所得・資産の”測定”と近代合理主義
〇 『地球人類幸福論』―『国富論』を超えて
pp.87-97, 日本及日本人(平成9年陽春号), 1997年4月]]>
債権大国不況の諸原因(日本経済新聞夕刊「大機小機」1994/9/6)
http://takahirow.exblog.jp/9683419/
2009-02-23T21:52:00+09:00
2009-02-23T21:57:50+09:00
2009-02-23T21:53:29+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
世界最大の債権国で、強い円の日本がなぜ有効な政策を打てないのか。この原因が解明され、それについて国民の十分なコンセンサスが成立しない限り不安がつきまとう。
来年8月で敗戦50年になる。この際、戦後の日本経済を総括しておく必要があるのではないだろうか。PKO(株価維持策)で身動きできない株式市場を改革し、日本経済が活力を取り戻す政策につながるはずである。同時に、経済大国としての何よりの国際貢献になる。
上場大企業の経営を中心に証券市場を32年みてきた経験から、思いつくままにキーワードを並べて、議論のたたき台を考えてみたい。
まず、円高不況3度目の壁である。85年のプラザ合意による円高までと違っている点で、①89年の東西連戦構造の崩壊②BIS(国際決済銀行)規制の成立③地価税の創設―を注目したい。
イデオロギーの対立を背景とする米ソ両大国の派遣をめぐる軍拡競争は、人類の生命と地球の資源配分の異常の極みだった。89年は正常化への激動の象徴である。自己資本比率をテコとするBIS規制は、健全性をないがしろにした銀行経営の正常化であり、地価税は”花見酒”の経済体質への“特効薬”であった。
次に、89年までの、世界も日本も異常だった時代に累積された経済の実像である。マクロとしては、①世界最大の債権国となる一方で②国、地方を合わせた財政赤字の拡大③円高の進行―など。ミクロでは①上場企業の大量エクイティファイナンス(新株発行を伴う資金調達)②土地・株長者の大量発生―を指摘しておきたい。
以上から言えることは、戦後の日本は「国民主権の法治国家ではなかった」ということである。もしそうなら、先に挙げた経済現象は起こり得なかったはずだ、といいたい。
市場経済の主役、つまり①労働者②株主③納税者―の主権回復が不可欠である。「代表なくして課税なし」という議会政治の理念が、現実は「代表送って課税逃れ・補助金ねらい」である。大多数の労働者は「源泉徴収されて代表なし」といえないか。まさに人権の無視だが、その事実さえよく知らされていない。
”人権の不知”が公共の不幸と政府の腐敗の諸原因、とは1789年のフランス人権宣言の前文の一節である。債権大国日本の不況の諸原因であってはならない。(十一)
]]>
羽仁五郎の遺言 参議院本会議会議録
http://takahirow.exblog.jp/9672472/
2009-02-22T18:13:00+09:00
2009-02-23T10:28:16+09:00
2009-02-22T18:14:26+09:00
wasatakahiro
日刊新聞法
○副議長(三木治朗君) 次に日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社及び有限会社の株式及び持分の讓渡の制限等に関する法律案の討論に入ります。討論通告者の発言を許します。羽仁五郎君。
〔羽仁五郎君登壇、拍手〕
○羽仁五郎君 私は本案に反対するものでございます。
言論の自由を理由として、ここに特に新聞社のために新らしい商法において唯一の除外例を設け、新聞社に限つてその株式の讓渡の制限又は禁止を許そうとする本法案に対する私の反対のすべての理由は、現在我が新聞社が言論の自由を飽くまで守る確証を我が国会及び世論に対して與えていないからであります。本案発議者は、現在日本の新聞において言論の自由が守られていると説明されました。果して然らば私は喜んで本法案に賛成したいのであります。併し、最近イギリスにおいても新聞の自由の危機について世論及び国会に深刻の問題が発生している。かく、新聞の自由において輝ける伝統を有するイギリスにおいてさえ現在深刻の問題を生じているのに、我が日本において新聞の自由が確保されているとして、我々が安心していることができましようか。而も現在イギリスにおいては、この危險を直視し、その対策が講ぜられているのに、本法案は、この危險に目を蔽い、そうした危險がないもののように装つて、事実を欺き、事実の虚偽の上に立法しようとしているのであります。昨年十一月、イギリスの有力紙ピクチユア・ポストの名編集者ホプキンス君が突然解雇された。その理由は、同紙上に、現在イギリスの新聞記者として最も卓越の一人として知られているジエイムス・カメロン通信員が、南朝鮮軍の残虐行為について報道し、国連がこれを阻止すべきことを求めた記事を掲載すべきか否かにつき、同紙の編集者と、同紙の所有者、経営者であり編集長であるエドワード・ハルトン君との間に見解の不一致を生じたということであります。而もハルトン君は、新聞の所有者として経営者として知的の識見を有し、聰明を以て知られていた人物である。更に又ここにおいて、ザ・ニユー・ステイツマン・アンド・ネイシヨン紙のごときは、その十一月十一日、その社説を以て「今や、イギリスの新聞記者、編集者は、何ものをも恐れるところなく真実の報道の任務使命を果す確信を失わねばならないか」と警告し、新聞の経営権と編集権との正しい関係の回復を要請しておるのであります。
本法案に対し、我が国会がこれを可決すべきか否決すべきか、諸君がこの判断の基礎とされなければならない具体的の問題がここにあります。即ち新聞の自由のためには、新聞の経営権と編集権、読者が真実を知る権利、この三つの権利が最も正しい関係に守られなければならないという要件であります。イギリスにおいて、新聞についての識見を以て知られているフランシス・ウイリアムズ君が、ザ・ニユーステイツマン・アンド・ネイシヨン紙の去る十二月二日紙上に、編集者への書簡において、新聞の自由は、新開の所有者と、新聞記者と、読者と、この三つがすべておのおのの権利と責任とを対等に認められて新聞に参加するときにのみ成立することを明らかにしております、これらの点について現在日本の新聞の現実はどうなつているか。少くとも朝日、毎日、読売、東京、そのほかの東京の大新聞について、これらの点について、即ち果して新聞の自由が、経営者と、新聞記者と、読者と、この三者の権利と責任との対等の正しい関係の確保の上に保障されておるか。一言にして言えば、それらの新聞において、良心的の新聞記者が、果して何ものをも恐るるところなく真実を報道することができているか。この点について我が国会が確信を持つて判断するに足る資料を示されることを、私は繰返し繰返し懇切丁寧に提案者に求めたのでありますが、遂にこれを與えられることが今日までになかつたのであります。この確証があるならば、何故にこれを示されることを惜しまれるのか。この確証を示されない限り、その確実の保障なきものと判断せざるを得ない理由があります。そうしてこれが私の本法案に反対する理由であります。
新聞の自由という点において、新らしい商法の一般株式会社及び有限会社に関する規定から新聞社だけを外すということが、その新聞の自由の確証なくして行われることは、新らしい商法の一般の信頼に対する悪い影響をも考えねばならないことであります。新聞のみが特権的取扱を受けるその理由が薄弱であるならば、今後、放逸事業そのほかさまざまの株式会社などがそれぞれ薄弱の理由で新らしい商法の適用を免れようとすることをも防ぎ得ないかも知れません。そして、現に本院の法務委員会において、これらの点に関する私の質疑に対し、本案発議者、押谷衆議院議員は、将来において新聞の性質を規定するに法律を以てすることもできようと、頗る危險の答弁をされました。新聞に対する法律が、新聞の自由を守るという美名の下に、新聞の自由を窒息させた伝統の存する我が国において、新聞を法律によつて規定することには、実に重大なる危險があります。本法案はそうした危險の立法をも招く慮れがあります。新聞の自由は、新聞がみずから多年の不断の努力と鬪争とにおいて事実の上にこれを確立し、その確証を以て国会及び社会の承認と信頼とを得らるべきものであることが忘れられてはなりません。
然るに今新聞の自由につき確証が提出されない。そして、その他方、昨年における我が新聞記者の多数の解雇が、新聞の自由につき疑義を生じているところがあります。この五月の雑誌「人間」の誌上に、文学ではありますが事案に基いて、昨年の新聞記者レツド・パージの際、東京の大新聞の一人の記者が何らの思い当ることもなく突然無残に首を切られ、家に帰つてこれを妻に告げると、乳児を抱いていた妻は忽ち生活の不安に顔面蒼白となり、乳がとまつてしまつたという悲惨を述べています。このような恐怖に新聞記者をさらすならば、良心的の新聞記者といえども、どうして何ものをも恐れるところなく絶えず読者に真実を報道する任務を全うすることができましようか。この点につき、今日、日本の新聞記者は、一般株式会社の又は有限会社の社員と何ら異なるところがないのみらならず、新聞記者は、その職務の性質上、政治の問題、平和の問題、戰争の問題などに触れなければならないので、今日の日本では一般会社員よりも却つて更に不当の処分の危險にさらされているのであります。医師、薬剤師、会計士などが、その職務によつて社会に対して負うている公共の義務に反するような命令を拒否したために解雇されるというようなことが起るならば、如何なる恐るべき結果を招くこととなるでありましようか。然るに新聞記者においては却つてかくのごときことがあり得るのが日本の現状ではありませんか。現在日本の新聞社は、明らかに新聞記者の職務の倫理エテイクスであると考えられているところを固く守ろうとする勇気を有する新聞記者を忽ち解雇し、その椅子に数時間又は数分後にほかの誰かを補充するに何らの困難をも感じていないのではありませんか。その証拠に、最近の日本の新聞記者諸君の意気沮喪した見るも痛ましい姿が諸君の眼にも映つておりませんか。新聞の自由、社会の木鐸、無冠の帝王、何ものをも恐れず、国民が真実を知る権利に対して真実を報道する新聞の自由、これらの誇りに輝く新聞記者の姿はどこに行つてしまつたのでありましようか。然るにこの現状に対して我々の眼を蔽い、この現状をそのままにして、日本に現在新聞の自由の現実があるとし、これを守るために株式の譲渡の制限のみに頼ろうとすること、その危險誠に測り知れません。
諸君、日本の新聞はすでに久しく戰前前から株式の讓渡制限を認められていたのであります。併し、その際、日本においては事実上において新聞の編集権が確立されず、事実上において経営権がすべてを支配していたがために、経営者は大量の紙を手に入れたいために遂に軍部に屈し、新聞編集者及び記者は何ものをも恐れず真実を報道する保障がなかつたために、我が新聞は、支持すべからざる戰争を支持し、敗北を勝利と報道したのであります。いわゆる新聞の社内株保有の制度だけによつて守られていたという日本の新聞の伝統には、かくのごとき危險があつたことを何人も忘れてはなりません。殊に我が国の大衆が、朝日、毎日、読売などの大新聞に、親、子、孫と、久しく深い信頼と愛情とを寄せて来た。この新聞の自由をいわゆる社内株保有の制度だけでは守り切れず、読者の絶対的の信頼をみごと裏切つて、平和主義を排撃し、日本をあの戰争犯罪と悲惨とに導いたのが。朝日、毎日、読売そのほかの日本の新聞であり、放送局でなかつたと、誰が断言することができますか。
我が国会が飽くまで民主主義を守り、再び如何なる武力がこの国会議事堂に乱入支配することをも許さず、平和のうちに社会の進歩の要求実現させるためには、我が国会は実に言いがたきほどに新聞の自由によつて援助されなければならないのであります。我我があの犯罪戰争とあの悲惨を二度と繰返さないために、我々が国際世論を尊重するならば、日本の新聞、朝日、毎日、読売そのほかの有力紙は、第一に、社内に、新間の所有者と新聞記者と読者との三者の権利が最も正しい関係に置かれている事実を確認し、第二に、殊に新聞記者が何ものをも恐れるところなく、新聞記者の天職を果して真実の報道をすることができるために、不当の圧迫に対し新聞記者の個人を守る新聞記者の労働組合の団結権、団体交渉権、争議権の基本権を確認せねばならないのではありますまいか。ほかの何ものでもなく、ただ我が新聞の自由が守られるために、單に新聞社の株式の讓渡制限だけでなく、それに先だつて、事実の上に、この第一、第二の点を確認せられることを絶対的に要求するが故に、本院議員として私は現在この重大の二点の確証を日本の主なる新聞がなし得ていない事実を内外に向つて深く警告するために、我が新聞を愛すればこそ、本法案にあえて反対するものであります。(拍手)
]]>
"The Enigma of Japanese Capitalism"
http://takahirow.exblog.jp/9670279/
2009-02-22T12:40:00+09:00
2009-02-22T16:14:50+09:00
2009-02-22T12:37:49+09:00
wasatakahiro
既発表のもの
By Takahiro WASA and Hideaki SONOYAMA
Journal of Japanese Trade and Industry, May/June ,2000; July/August,2000; September/October,2000
Part1(May/June):
How the World's Largest Creditor Nation Landed in Financial Crisis
Part2(July/Aufust):
Restoring the Function of the Market
- A "New Deal " for the Allocation of Resources
30 Years of "Extraordinal" Exemption of the rule of the Market
- Reallocating the Missallocated Assets
Funding the Current Value Accounting System
- Taxes on Reassessed Land Assets and Inheritancess
Part3(September/October):
Plan for Peaceful Use of Asset-Rich JAPAN
Contributing to an Adaptation to the "Age of Mega-Competition"
Japanese -style Marshall Plan for Optimism Asset Allocation and a Millenial "Glourlious Revolution"
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/